みこしまくり辞典

水無神社

  • 木曽町福島に所在する水無神社の創祀は700年程前と言われています。飛騨一の宮の分社でありました。
  • 現在の場所(木曽町福島伊谷)には、八幡様がありましたが、惣助と幸助が飛騨からお連れしたとき、伊谷にある八幡様は陽当りがよいから、あそこへお祀りしようということになり、伊谷に決まったといわれています。
    のちに八幡様は岩郷へ移し祀られ、今は高照姫命が主神になったと伝えられています。
  • 惣助、幸助が飛騨から御神体を奉じてきた神輿は、水無神社の本殿に納められています。
    残念ながら公開はされていません。
神事

水無神社の神様

  • 「高照姫命:たかてるひめのみこと」です。
  • 大巳貴命(大国主命)の181人の御子のうちのひとりで、農耕治水の祖神、衣、食、住の守護神と伝えられる木曽町福島の氏神様です。
    神武天皇の皇后、御歳(みとし)大神と呼ばれています。
    ちなみに、諏訪神社の神様「建御名方命:たてみなかたのみこと」も、大国主命の御子です。

白木の神輿

  • このお祭で、神様がお乗りになるお神輿は白木で造られています。
  • 木曽町の山から切り出した材を使用して造られます。枠の長さは18尺5寸、幅4尺、高さ(ぎぼしの上まで)5尺5寸の神輿です。重さは100貫と伝えられています。「神様は量るものではない」という考えから、実測はされていないそうです。重さ100貫と伝えられていた頃よ、り現在は大きめになっているとのことですから、重さは100貫以上と思われます。
    本体には主に赤松などが厳選されて使われるようですが、神輿の四隅の柱は檜で造られています。神輿は、木材が半乾きのときに造らなければならず、苦労は多いようです。
    以前、すべて檜で造ったことがあるそうですが、すぐにヒビが入ってしまったということです。
  • 毎年水無(すいむ)神社の「作事所」というところで、木曽町木造住宅推進協議会の大工さんによって約1ヶ月でつくられます。神輿の設計図はありませんが「かたいた」という神輿を造るための板や「けんさお」という神輿用のものさしがあります。型板は12枚ほどあるようです。
    時期は6月下旬ころからで、見学することができます。
白木のみこし

惣助(そうすけ)・幸助(こうすけ)

  • 平安時代の初期、飛騨の国、現在の岐阜県高山市宮村の飛騨一の宮「水無(みなし)神社」へ木曽から杣・匠仕事へ行っていた信仰心厚い兄弟で、御神体を「水無(すいむ)神社」におさめました。
  • 祭りのなかでは、みこしまくりを執り行う二人を「ソースケ・コースケ」と呼びます。
    「惣助、幸助」の正装は、頭に烏帽子をいただく工匠の姿と言われています。
    また「宗助」とかかれる場合もありますが、当サイトでは「惣助」としています。
  • 「惣助 幸助」は「精進」とも呼ばれ、徳望の高い人が選ばれます。

猿田彦(さるたひこ)

  • 神輿の行列の先頭に立って、先導してゆく、御存知天狗さまです。
  • 薙刀を手にした猿田彦の神は、町内の各地区の入口に張られた注連縄(しめなわ)を、薙刀で切って行きます。
    注連縄を切ることによって、神聖な世界と俗世との封印を切り、俗世に神聖な世界が広がっていくことを意味します。
  • 猿田彦の神には、「ショヨギもち」と呼ばれる小学校高学年の男子が2人、白丁姿で五色布をつけたショヨギをかついで従います。
  • 惣助、幸助、猿田彦役の3名は1月1日から7月の祭りが終わるまで「精進」をおこない心身を清めます。
    精進潔斎の意味で、殺生の禁止・獣の断食・女性との交渉断・にんにく等臭いの強いものの断食を守ることです。
猿田彦とそよぎ持ち

枠持(わくもち)

  • 枠持は、祭りの最中ずっと神輿についている「水交会(すいこうかい)」の人たちと地区ごとの担ぎ手です。
  • 水交会は、水無神社のお祭りなどに奉仕するひとたちの集まりで、神輿を守り、お祭を支えます。
    みこしまくりのスペシャリストです。水交会では2日間ともかつげる人が白い麻の衣装をまとい、それ以外の人は水交会の法被を着てかつぎます。
  • 枠持(水交会)の資格は、20歳以上の氏子ということで、枠持になることは栄誉とされています。
    昔は、心願をかけた若者がその成就の御礼などに志願したものだといいます。
    また、神輿が渡御(とぎょ:練り歩く)する地区(地元)には、それぞれの地区だけかつぐ、地区のかつぎ手がいます。
    枠持は祭りのおよそ1ヶ月前から「精進」をおこない心身を清めます。
枠持ち2

まつりのご馳走

  • 神社では、21日の夜、生の麦・小豆・タデの葉等を供えます。
    伝承では、惣助・幸助が飛騨から神輿を運んできたとき、途中日が暮れてしまい、一軒の家に一夜の宿を乞うたそうです。
    その宿で長い道中でおなかのすいた神様が、 「麦は煮えたか、タデはすれたか」と食事の催促をされたそうです。
    氏子はこの故事にちなみ、祭りの前日には“麦のもの”を神様にお供えし、食べることにしたそうです。
    今でも、氏子の家では、伝承にしたがって21日か22日の夕食には、必ず麦飯かうどんを食べるようです。
  • お祭りの日には、多くの家庭で、木曽の正月、お祭りなど、お祝いのときに食べる「大平(おおびら)」と呼ばれる料理をします。ごぼう、昆布、鶏肉、こんにゃく、にんじん、さといも、だいこん、焼きどうふ、などを末広がり扇型の一口大に切り、醤油をベースに煮込んだ心温まる煮物です。この大平は、木曽町新開の「ふるさと体験館 きそふくしま」で食べることができます。

資料提供:水交会